優しさを胸に
数年ほど前、足を骨折して松葉杖生活を余儀なくされたことがあります。
ずっとベッド上での日々から、松葉杖というまさしく魔法のステッキを手に入れたことによって、水を得た魚のような気分だったのですが、現実はそう甘くはありませんでした。
松葉杖って意外に大変なんですよね。
日頃は気づくことすらないような小さな段差も上がれないし、使っていない筋肉を使うからでしょうが、すぐに全身筋肉痛。
なかでも意外に大変なのが、ただ立っていること。
歩いているほうが楽で、ただ立っているのがバランス取るのに一苦労なのです。
困ったのは行列に並んでいる時。
松葉杖のときにわざわざ行列並ばなくてもと思うでしょうが、人気ラーメン店に並んでいるわけでもなく、テーマパークのアトラクションの入場待ちでもなく、通っていた整形外科が大病院で会計を済ますのに各科から集まるから行列になるのです。
会計が終わらないと帰らないし、意を決して並んでいると案の定ふらふらしてしまうのですが、すると前に並んでいたおばさんが「私の腕につかまりなさいよ」と。
私はスポーツをしていたこともあり、がっちり体型の180cmオーバーの男。
おばさんはどう見ても160cmあるかないか。
これで男が捕まっていたらアンバランス極まりないのですが、そんな些細なことでも人の優しさというのは忘れることができない経験なのです。
よく訪日される外国人が日本人の特徴を話していますが、「優しい」なんて言ってくれていますよね。
実際日本人だらけのなかで住んでいると気付きづらいですが、よく顕著に表れたのが2011.3.11の震災時。
よく外国では震災のような大災害が起こると決まって暴動が起き、コンビニのようなショップは強盗が一気に食糧などを持ち去るというのが一般的。
しかし、日本は違っていました。
わずかなコンビニに残された食糧をみんなで分け合い、配給にも秩序を守り、列をなして順番待ちをする。
また、帰宅困難者が出た東京などでは、自宅を解放してトイレを貸したり、休憩所としたりなど、皆が助け合い、できることをしていたのです。
津波後も支援を申し出ても、「私より大変な人がいるからそっちを優先してあげて」と言ってくる人が溢れたと聞いています。
このような日本人が古来から受け継いでいる思慮深さは決して忘れてはいけないことで大事にしていきたい日本人の民度となっていくのではないでしょうか。
今はどんどん世界がインターネットの登場により狭くなっています。
以前より各国の持つ民度というものがはっきり分かってきているのではないでしょうか。
この前、ネットニュースで、近頃の若者はみんな優しくて、親切にされるたびに飴を配っているおばあちゃんのお話を取り上げていましたが、若者にもこの誇るべき日本人の民度は受け継がれていっています。
渋谷のハロウィンなどの騒ぎがあると、近頃の若者は、なんていう声も出ますが、客観的に見ると、今の若者のほうがよほど理知的で、老害と言われるような高齢者のほうが割合は多いと思うほどです。
最近はマンションですれ違っても子供に挨拶させないなんてところも出てきているようですが、果たして50年後、100年後どんな日本になってしまうのでしょうか。
そんな世知がない国に日本がなってしまったら、想像しただけでもなんだか悲しくなってしまいます。
思慮深く、人の苦しみも悲しみも分かち合い、みんなで助け合うことができる、日本が誇るべき優しい日本人の民度を今後も大切にしていきましょう。
何も毎日何か良いことをしようなんて考える必要はないのです。
ただ相手の気持ちを考えられるような人になりたいですね。
そう考えるわけです。